N家と猫のはなちゃんの日常

N家(父、母、息子)の三人が、自分の趣味や日常を綴ります

老いて、悩む事なし

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老いて、悩むことなし

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思い返してみると、若いころは

 

友達のことであったり、

怖い学校の先生のことであったり、

勉強のことであったり、

上手くできない鉄棒のことであったり、

部活の練習のことであったり、

明日の遊びの予定であったり、

進学のことであったり、

人はどう生きるべきかなんて哲学的なことであったり、

恋愛のことであったり、

政治のことであったり、

どうしてギターが上達しないかであったり、

就職のことであったり、

上司や客先との関係であったり、

営業成績のことであったり、

親との関係のことであったり、

結婚のことであったり、

お金のことであったり、

子供の病気のことであったり、

子供の進路のことであったり、

自分の出世のことであったり、

二次会の会場のことであったり、

当たり前に人間関係のことであったり、

転職のことであったり、

買い替える車のことであったり、

花の生育のことであったり、

自分の体形のことであったり、

血圧のことであったり、

孫の発表会に予定が重なりそうになることであったり、

漠然とした老後の生活のことであったり、

お墓のことであったり、

 

とにかくいろいろな悩みや選択のはざまで生きてきたような気がする。

血まなこになりながら、それらを乗り切ってきたと言うような大それた感覚はない。

だいたいいつも「時間」という悩みの特効薬を無意識に服用しながら、ある時は人の手を借りて、またある時は、無慈悲なほどにそれらを無視することで、通り過ぎてきたような気がする。

 

今思えば、そうでもしないと精神的な疲労は我が身に蓄積し、摩擦と軋轢の中で確実に何かを蝕んでいったに違いない。

 

ある意味、人が成長していくということは、何かを受け止め、立ち向かい解決していくというよりも、受け流していくということで、いいんだろうと思う。

それが結論!なんて無責任なことを言うつもりはさらさらないが、少なくとも私の場合は、気負わずにこんな風に生きてきたような気がする。

 

 

いつ頃からだろう、悩みがどんどん私の周りから消えていくようになった。

さらりと、するりと消えていくようになった。

 

これが老いていくということ?

 

子は育ち手元を離れ、自分と社会との関係性はどんどん薄れていく。

 

こうして老いていくということ?

 

でも、慌てることなく今はこう言える。

そんなものだよ、むしろそれは試練でも寂しさでもなく、だれもが通る道。

 

むしろ楽しもうよ、老いていくことを!

 

悟りを開いたなんて仰々しいものではありません。

あえて言えば、力が抜けたということかもしれません。

 

老いて、悩むことなし!

 

何てすばらしい瞬間なのでしょう。

みんなありがとう。

ふと気づかせてくれて。

 

父でした。

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