坂道を恐れるな
坂道を恐れるな
4月に友人夫婦と九州旅行に行ってきた。
最寄りの空港から福岡空港に飛び、レンタカーでハウステンボスへ。
翌日は午後から長崎市内に移動して、3日めの昼まで市内観光。
フェリーで有明海を渡り、熊本黒川温泉でゆっくり温泉につかり、次の朝から周辺観光、再び福岡に戻り帰ってくるという、3泊4日の旅だった。
長崎市内では、いろいろな観光地を巡ったが、とにかく驚いたのは、どこへ行くにしても必ず現れる坂道だった。
平らな場所がないところにできた街だから仕方がないのかもしれないが、長崎の人は年をとったら、毎日の生活、買い物にしてもちょっとしたお出かけにしても、大変だろうなというのが率直な感想だった。
私の今住んでいる場所は海沿いの町だが、この町の特徴は、なにしろ坂道がないことだ。町のはずれに砂山という地名の場所があって、ここにだけ町唯一の坂道があるが、とにかくここだけ。
後はひたすら平たんな道が、これでもかとばかりに、隣の町まで30kmほど続く。
運転していても視覚には、山なんてものは決して飛び込んでくることはない。
単調な道で、眠気と戦うのが大変な場所だ。
人生には必ず、山や谷がある。
当然上りも下りも坂道は存在する。
でも私の町には、な~んも無い。
こんなことでいいのだろうか?
このまま坂道を回避したまま生きて行っていいのだろうか?
九州旅行から戻ってきて、ふとそう考えてしまうことがある。
だいぶ昔の話になるが、
私は学生の頃、人はあまのじゃくと言うかもしれないが、とにかく体制をすんなり受け入れることを良しとしない、現状を素直に肯定することを拒む、そんな生き方を是としてきた。
時代の流れに流されるにしても、自分は常に上流を向き、その流れにあがない続けることこそが若者の進むべき道と考えてきた。
肩まで伸びた長髪に、洗いざらしのジーンズ、ギター片手に反戦歌を歌う。
学生運動はすでに下火だったが、まだヘルメットに竹槍姿の奴らも学内にはいて、打倒帝国主義とシュプレヒコールをあげていた。
その時代に生きた証として、何かを残そう、戦おうという強い思いに背中を押されていた。
ところが今はどうだ。
平たんな道に侵されて、坂道に立ち向かうことをしない軟弱者だ。
坂道を恐れてはいけない。
歩け、進め。
ひたすら前へ、その先へ向かえ!
と、もがいていたら目が覚めた。
たまの昼寝は、なにゆえか目ざめが悪い。
さっきの思いは何だったのか、自分でもよくわからない。
そんなときもあったよね~
地理的条件には誰も逆らいようがないよね~
坂道ないほうが楽でいいよね~
負担とか負荷とかいう状況から、いつも距離を置く、ちょっと寝ぼけまなこの爺さんが、関東平野の片隅で空を見上げた。
時間をいっぱい持ってる父の独り言でした。