N家と猫のはなちゃんの日常

N家(父、母、息子)の三人が、自分の趣味や日常を綴ります

ブログのおかげで思い出した、ものを書く楽しさ

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ブログのおかげで思い出した、ものを書く楽しさ。

息子のすすめで家族ブログを開設して、はや2か月が過ぎようとしている。

ビジネス文書以外で、何かものを書くということから離れて何年たっているのだろう。

 

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私は小学校時代から、中学の2年生くらいまで文章を書くのが大好きで、暇さえあれば何か必死にノートに書きこんでいた。

 

詩のようなもの

物語

学校での課題による作文

etc

 

何でもよかった、時間があるとノートを広げひたすら書いていた。

 

ところが、たしか中学三年生の頃だったと思う。

突然物語が書けなくなった。書けなくなったというより浮かんでこなくなったというほうが正解かもしれない。

鉛筆を持ち、ノートの前に座ればいろいろな情景や、話の展開が浮かんできていたはずなのに、なにも浮かんでこなくなってしまった。

 

私はなぜか子供のころ、児童会長とか、生徒会長などを務めていて、いろいろなタイミングでみんなの前で挨拶などしていたのだが、そういった文章ですら、なかなかうまく書けなくなってしまって、苦労したことを覚えている。

 

その原因は、自分なりにいろいろと考えてみた時期もあったが、当然のことながら結論には至らず、現在にまで至っている。

 

書けていたときは、頭の中とペンを握る指先の距離がいたって近い感じで、浮かんできさえすればスラスラと、といった感覚だったのだが、なにも浮かんではこない上に、なにかネタのようなものをひねり出しても、指先までの距離はどんどん遠くなるばかりで、歯がゆく、いやむしろ悲しいとすら当時は思っていたと思う。

 

かろうじて、長文はかけないまでも、断片的な感覚、イメージは浮かぶことがあったので、詩のようなもの(詩と呼ぶのは何か気恥しい)は書いていたのだが、それすらも40歳を過ぎたころから書けなくなってしまい、ビジネス文書くらいしか

ものを書く ということをしなくなってしまっていた。

 

書けなくなったことを自分では気づいていたはずの高校時代、必死で抵抗を試みて、思いつくままにノートに書きこんでいた時もあったが、当然納得できるものは何一つ生まれることはなくて、内心あこがれていた「物書き」という職業をあきらめたのは、高校三年か大学一年の頃だったと記憶している。

 

話は初めに戻るが、ブログを書きだして2か月が過ぎようとしている現在はどうだろう。

 

やはり、物語的なものが私の頭の中に浮かんでくるという状況ではないものの、文章をつづる楽しさは,徐々に湧いてきているような気がする。

 

新調したパソコンのキーボードの前に座り、今日は何を書こうとテーマさえ決めることができれば、原稿用紙にして3,4枚の文章ならさほど苦労することなく書けるようになってきている。

 

これは間違いなく、ブログのおかげだと思う。まだそんなに多くはないにしても、見ず知らずの方に向けて、自分のいろいろな思いを伝えるべく文章をつづる、それはとても有意義で楽しい時間だ。

 

進めてくれた息子や、読んでいただいてくれる方、さらにコメントまで寄せてくださる方々に感謝しかない。

 

これからも65の手習いに励み、もしかしたら浮かんでくるかもしれない 物語のようなもの の復活を密かに期待しつつ、拙く、まとまりのない文章ではあるが、楽しみながら書いていきたいと思う。

 

皆さんが、時間の許す限り、高齢者の仲間入りを果たしてしまった私の楽しみにお付き合い頂くことを願いながら、とりあえず今日は筆をおくことにしよう。

 

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父でした。