N家と猫のはなちゃんの日常

N家(父、母、息子)の三人が、自分の趣味や日常を綴ります

何だかんだ言って、サッカー大好き

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なんだかんだ言って、サッカー大好き

先日息子がサッカー好きであること、監督の管理法がビジネスに通じることなど書いていたが、実は私もサッカー大好き爺さんです。

特に、地元のチームである鹿島アントラーズの大ファンです。

今日は、その鹿島アントラーズと我が家のファンとしての歴史について書いてみたい。

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青空とサッカーボール

最初にJリーグのアントラーズ戦を観にいったのは、私以外の家族3人(奥様と長男、次男)だった。実はその時私は、ちょっとした病気で入院中のため、あの伝説の一戦、ジーコハットトリックとアデランスで有名になったアルシンドの2得点でアントラーズが5対0で名古屋グランパスに勝利した試合を観ることができなかった。

 

友人家族のすすめで観にいったのだが、それからは二家族で完全にドはまり状態となり、周辺地域が一気に盛り上がりプラチナチケットと化したチケットを、どうにかこうにか手に入れては、だいたいすべてのホームゲームを観にいっていた。

その熱狂ぶりたるやすごいもので、選手のファンクラブに入ったり、今も存続する応援団インファイトに入団したり、子供たちや奥様達の顔に応援メイクをしてみたり、アントラーズの名前の由来である鹿の角の被り物を手作りしたり、行けば立ちっぱなしで応援するのだが、自由席の中でもいい席が確保したくて、スタジアムに泊まり込み、開門と同時にダッシュして席取りをしてみたりと、思い出すとよくそこまで頑張ったもんだな~と感心するほどのものでした。

 

試合後にテレビのインタビューを受けたりもした。(あわてて帰って夜のスポーツニュースをチェックしたりしたが、ほとんどカットされていたように思うが)

目立つ集団だったからであろう、やはり試合の帰りがけに女性誌の取材をうけ、奥様達が嬉々として喋りまくったものの、雑誌が発売されてみると写真とともに「鹿島ではオバサンも応援メイク」と書かれて奥様達が大激怒、以来その週刊誌は一度も買うことが無かったと記憶している。

 

奥様達は、試合を観るだけではとどまらず、あらゆる縁故を駆使して、あの神様ジーコが貸し切り、お忍びで食事するしゃぶしゃぶ屋さんに潜り込むことに成功し、一緒に写真を撮るは、その写真をうちの奥様はあの懐かしのテレホンカードにしてしまう(一枚も残っていないはずだが)とやや暴走気味。

 

さらに奥様は、フットサルなんてやったこともないのに、自身の勤める職場の監督と称してアントラーズ主催のフットサル大会に参加し、ホームスタジアムである鹿島サッカースタジアムの芝生を踏むことにも成功し、あろうことかそのカテゴリーで優勝してしまい、またジーコと同じ写真に納まるという、何か奇跡みたいなことまでやってのけた。

 

女性というものは、熱が入ると恐ろしいものだとつくづく感じたりしたものだが、熱が冷めるのもはなはだ早い。その熱狂も、2年間だった。

 

2年目にバリバリのブラジル代表、貴公子レオナルド(地元ではレオ様と呼んでいた)も加わり、チケットはますますプラチナ化が進み、わが家族のヒートアップもピークまで達した。ありとあらゆる手段でチケットを入手し、応援に熱が入っていたはずだったが、それもその年で突然の終わりを告げる。

 

たった2年間の饗宴だった。私には理解不能であるが、何ゆえか一気に熱は冷め、誘っても誘っても、もう奥様はスタジアムに足を運ぼうとしなくなってしまった。

 

今日は、鹿島アントラーズの歴史やら、Jリーグ参入の裏話やら、私のアウェー観戦模様やらいろいろ書こうと思っていたのだが、だいぶ話が長くなってしまった。

 

私と息子はいまだにアントラーズの大ファンである。

先週のあの暑さの中での、水曜と土曜の2連戦で終了間際に同点や勝ち越しを許し、勝ち点を積み上げられなかった悔しさから、サッカーの話はしたくなくなってしまったのだが、日曜日の映画鑑賞というリハビリのおかげと、今朝がたの全英女子オープンでの渋野選手の優勝というニュースの喜びのおかげで(私は必至で起きて、リアルタイムで優勝の瞬間を見たが)どうにかこうにか、気持ちを立て直し、書き上げることができた。

 

近々また、アントラーズについて書いてみようと思っている。

その時は、アントラーズ勝利の喜びの中で、いろいろな思い出を語れればと願いつつ、筆をおくこととします。

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現在の鹿島スタジアム

スポーツ観戦大好きな、父でした。