N家と猫のはなちゃんの日常

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鹿島アントラーズ 内田篤人選手の引退に思う

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鹿島アントラーズ 内田篤人選手の引退に思う

 

突然の発表だった。鹿島アントラーズの背番号2、日本を代表する右サイドバック、うっちーの愛称でアントラーズファンのみならず、たくさんのサッカーファンに愛された、爽やかなイケメン、内田篤人選手の引退報道。

 

彼を初めて目にしたのは、2006年シーズンの開幕戦、対広島戦だった。高卒ルーキーとしては極めて稀な開幕戦のスタメン出場。疾風のごとく右サイドを駆け上がり、我々を驚かせ、将来を期待させるに十分なデビュー戦だった。その後も順調に成長を続け、4戦目にはドリブル突破から先制点を奪って見せた。17歳11か月22日でのプロ初得点は、いまだにクラブ史上最年少得点となっている。

当時守備の面では、学ぶべき点も多かったと思うが、その攻撃センスは類まれなもので、アントラーズお得意のカウンター攻撃の際、気が付くと誰よりも早く敵陣深くに侵入して、ゴールに絡む姿を何度目にしたことだろう。

海外志向のあまり無い選手ではあったが、アントラーズ在籍5年目の2010年7月にリーグ3連覇を置き土産に、満を持して、ドイツブンデスリーガシャルケに移籍。移籍当初はケガもあり、厳しいスタートとなったものの、秋には不動の右サイドバックとしてレギュラーに定着してみせた。

その後はドイツでも「ウッシー」(ドイツ人はチーの発音ができないらしい)の愛称で親しまれ、大活躍をしてくれた。シャルケでの最後の2年間は右ひざのけがとの戦いになったものの最後までサポーターに愛される選手であった。2017年に出場機会を求めて同じブンデスリーガウニオン・ベルリンに移籍、そして2018年に古巣である我が鹿島アントラーズに復帰したのだ。

鹿島復帰後もケガに悩まされ、完全復活とはいかなかったが、アントラーズスピリッツを体現する選手として、2019年からチームキャプテンを任され、腐ることなく若い選手を声を枯らして声援、鼓舞して、アントラーズの精神的支柱と言える存在となっていた。

今シーズンもトップフォームとはいかず、出場はわずか2試合にとどまり、苦しいシーズンが続いていた。

そんな中、昨日突然の引退発表。今週末の対ガンバ大阪戦がラストマッチになるという。コロナの影響で入場制限があるため、チケット購入も難しそうでDAZNでの観戦となるが、最後の姿を目に焼き付けておきたいと思う。

 

うっちーを何度か市中で目にしたことがある。忘れられないのは、ホテルのロータリーに、ある意味目立つ艶消しの黒の外国製のSUVが止まっていた時だった。なんか見覚えのある車だな~と思って、何気なく車内をみると小さな子を抱えた内田選手だった。何してるのかなと、立ち止まって見ていると、突然サンルーフから手を振り、こっちだよーと大きな声。ホテルの出口を振り返ると、長身のきれいな女性が車の方に小走りに向かってくる。奥様を迎えに来たのか、ホテルで用事を済まされた奥様を子供と待っていたのか、よく見かける風景ではあるが、ほのぼのとして、温かい家庭を彷彿とさせるワンシーンだった。

サッカー選手は、女優さんとかモデルさんとかと結婚する選手が多い。そんな中、内田選手は高校時代の同級生と結婚されたと聞いて、これも、なんか浮ついたところのないうっちーらしいなと、変に納得したことがある。(女優さんと結婚したから浮ついているという意味ではありませんよ)でも、奥様はモデルと見まごうほどの、素敵な方でしたが。

 

今、私は完全な「うっちーロス状態」です。いろいろと思い出しては、少し涙ぐんでしまうほどです。本当に突然の発表だったので。

彼の中では、いろいろな思いが交錯していたのでしょう。責任感のある、見た目のソフトさとは裏腹に男気のある性格ですから、チームに貢献できないもどかしさに、悶々としていたに違いありません。それこそ寝られない夜もあったでしょう。

彼の決断を受け入れ、次のステージでのさらなる飛躍を祈ることにします。願わくは、たくさんのOBたちと同様に、チームに何らかの形で残り、明日のアントラーズを作るため、力を貸してほしい。

 

うっちー!いろんな思い出をありがとう!!

アントラーズのため、日本のサッカー界の為、ますますの活躍を!!!

 

 

内田選手の引退報道を受けて、我が家のはなちゃんも、少し寂し気に庭にたたずんでいました。

 

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さみしい、寂しい 父でした